真宗大谷派名古屋別院
- 住所
- 愛知県名古屋市中区橘2-8-55
- アクセス
東別院駅から徒歩5分(320m)
口コミ
真宗大谷派名古屋別院、通称、東別院だけあって、名古屋市内の中心に近い場所に広大な境内(敷地)面積を持ったお寺さんは他には中々無いですね。
平日の名古屋市内の仕事帰りに立ち寄りましたが、平日の昼下がりでも信仰される又は、お祈りする人達は大変多いですね。
さて、大きく巨大な山門を潜ると、総本堂が見えてきますが、本堂の広さも特大級で、その途中の寺院内には、数多くの出店又は、屋台が立ち並んでいますね。
その出店の数の大きさにも吃驚し、衣料品関係の寅さん顔負けの声掛けオジサンも居ましたね。
山門を潜ると直ぐの店が大きなテントでの串カツ、串焼き、焼きそばなどを主体の飲み屋風になっており、懐かしさと共に、神社等の花見屋台思い出し、呑みたい気分になりましたね。
本堂内は往来自由で、靴を脱いで袋に詰めて本堂へ上がるようになっていました。
本堂内には、多くの高齢者が座りながらお経を唱えていましたね。
私も友人の病気回復祈願を兼て、本堂内の仏様に願掛けお参りをさせて頂きました。
もう一つの目的は、同別院が建立される前は、織田信秀公が居城していた「古渡城」があった場所を確認することでした。
古渡城址は1万坪の敷地を有した城址で、1690年、尾張徳川二代藩主である徳川光友公より同敷地を寄進され、同別院の前身仏閣が建立されたようです。
その後、色々な時代背景があり、江戸時代末期に真宗への改宗があったようです。
古渡城址の石碑は、巨大な山門の左奥にありますが、当然ながら土塁などの城址の跡は見当たらないですね。
名古屋市内では最も大きな寺院である同別院を訪ねられては如何ですか。
私自身、数え切れない程の数多くの神社仏閣を廻らせて頂いています。
神社仏閣は長い歳月の中での歴史、その地域の交わりの深さなどが大切であり、本堂、社殿、境内の大きさ、風格の大小では語れませんが、他神社仏閣と異なる威風な風情がありました。
歴史ポイント
広大な敷地は、中世、戦国時代には、織田信長公の父である信秀公が築城し居城していた「古渡城」があり、その後、同城を廃城し、エキテンでも紹介させて頂いた「末森城」(名古屋市千種区、現在城山八幡宮)に移り住み(居城)ました。
信秀公の詳細については、数多くのエキテン投稿分で紹介済みですのでご覧頂けましたら幸いです。
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