目が不自由な鍼灸・マッサージ師師の両親の元に長男として生まれる。
自宅の治療院に辛い様子でご来院した患者様が、まるで魔法にかかったかのように明るくなって帰宅する様子を見て育つ。
その人助けの仕事に魅力を感じ、自分も開業する夢を抱く。
学生時代、遺伝的に視力を失っていく進行性の難病『網膜色素変性症』を患う。
人と目線が合わなくなる外斜視と、極度の視野狭窄による人や物への衝突がきっかけで、差別やイジメを経験。
辛い現状から逃れようと盲学校への編入試験を受けるが、まさかの不合格となった。
初めての挫折を経験した際、[逃げ場が無いのなら、強く生きよう]と決意する。
心の傷を知り、辛い気持ちがわかるからこそ、悩んでいる人に寄り添う覚悟が決められた。
自分の人生を語った際、面白いと思ってもらえるRPG風の物語にしたいと思う。
高校卒業後、東京とにある筑波大学附属視覚特別支援学校に進学。
理学療法士の学生時代、留年。
国家試験に落ち、職場の内定を取り消され、彼女にふられ、傷心の身で群馬の実家に帰省。
鍼灸・あんまマッサージの資格取得を目指し専門学科を受験するが、ここでも不合格。
諦めずに盲学校にある専門学科を受験し、無事に入学。
理学療法士、鍼師、灸師、あんまマッサージ指圧師の合わせて4つの専門分野の勉強を同時に進める。
在学中、三度目の挑戦で理学療法士の国家試験に合格。
卒業と同時に鍼灸・マッサージの資格取得も果たす。
その少し前、認知症と脳梗塞を患う父方の祖父が入居先の施設で転倒。
東部を強打した事による硬膜下血主で死去。
それがきっかけで、高齢者施設に機能訓練指導員として就職。
10年間の臨床経験を積む。
指導者として専門学生を担当したり、東京や沖縄などで健康講和を行うなど、活躍の幅を広げる。
それら全てが、人を支えるために必要な良い経験になったと思い逆にありがたいと思えた。
令和4年、4月21日。
やりたいこと、なりたい自分、楽しく笑って過ごせる毎日を共に叶える。
そんなコンセプトをこめて、玉村町にて治療院の開業に至る。
町の行政と組み、高齢者の介護予防や出産後のママに対する健康講和をするなど、地域貢献も行う。
現在、上毛新聞の『オピニオン・みんなの広場』を担当。
この世の中をもっともっと明るく元気に。
この手で笑顔を伝播させる事を目標に今日も施術にあたっている。