ボランティアが大好きで、日本のスーパーボランティアの尾畠さんのように、ボランティアだけで生活できるような人間になりたいです。
2007年、留学生として来日、日本語を携わった事がなかったが、学校の理事長の推薦で、日本語学校に入らずに、いきなり、別府大学短期大学部地域総合学科に入学。
2009年、別府大学文学部国文学科、社会言語学を専攻。なぜかと言うと、将来どのような職業に就いても、言語力が一番大事だからです。
その後、沖縄県名護市のカヌチャベイリゾートに就職、フロントとベルシャトル課に配属され、中国観光客だけではなく、中国語圏のお客様の通訳等の仕事をさせていた頂きました。
その後、海鼠なまことクラゲ🪼の貿易に関する仕事をやったり、愛知県豊橋市の最終ゴミ処理場で働いたらしました。
その後、大分県別府市にある翼グループに転職し、別府、ホテルエール、湯布院はな村、湯布院ほてい屋。竹田市、久住高原、フリューゲル久住。日田市山陽館の通訳等をさせて頂きました。
その後、上京し、東京で地形などをより詳しく知る為、催事と言う仕事を携わりました。
その後、東京都小平市の加藤紙器製作所で働き、物流センター、工場などで働きました。
その後、NHKの紹介で、イナバ物置の売上の一位の代理店に再就職し、武術の経験を活かし、会社の代表として、全員の代表として、選手宣誓し、全国組立大会で優勝しました。イナバ製作所の稲葉社長から30万の賞金を頂きました。
その後、千葉県の廃プラスチック、リサイクル♻️業の日本資源開発株で工場長を任せて頂きました。だから、今ゴミ関係に詳しいです。
その後、イナバ物置の代理店に再入社し、コロナ期間中、人と接触しない仕事がより良いと思っていました。
その後、千葉県の市原市にある不二桂商事に入社。取得した大型運転免許だけではなく、高所作業車、小型移動式クレーン、玉掛け、フォークリフト無制限、建設機械無制限、などの技術を身につけました。
まず諺を思い出しまして、いつまでもあると思うな、親と金。いつまでもないと思うな、地震と災害。
これから、東京直下型地震、南海トラブル地震、東海地震などが起きた時、より多くの方、より多くの命を助けられるように、今持っている資格を活かしたいと思います。
スーパーボランティアの尾畠さんに一番大事な知恵を教わりました。つまり、物は有限、知恵は無限。
大分県知事を初め、大分県産業創造機構、アライアンスタワー、大分県民、多くの支援、応援を頂きまして、誠に有難うございます。因みに、タワーマンションの四階の広い事務所、水電光熱、ネット家賃込み込みで毎月、5000円で貸してくださいまして、感謝致します。在留資格の制限がまだまだ稼働できませんが、いまのうちに、しっかりと下積みし、NHKの言ったように、日本の中国の架け橋により1日でも早くなれるように努力しています。ただ、永住申請は3階も不許可、民間と政治が同じのように仲良くなってほしい。はっきり言います、僕のような人が日中友好の為に、出世しないと、..................省略させて頂きます。