口コミ
有楽町線の護国寺駅からすぐのところにあるお寺です。
徳川幕府の祈願寺として、徳川綱吉の母である桂昌院が建立したお寺で、現在も広い敷地がある大寺院です。
お寺の入口に建つ、将軍や桂昌院が利用したどっしりした構えの惣門など、さまざまな門があり、見応えがあります。
真言宗豊山派の寺院。
本尊は、如意輪観世音菩薩。
1681年、徳川綱吉氏は、母桂昌院の願いを受け、高崎の大聖護国寺の住持であった亮賢氏に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願護国寺の建立を命じました。
江戸時代に、浅草寺、回向院に次いで、出開帳の宿寺として人気がありました。
境内には、富士塚の「音羽富士」があります。
駅からすぐです。
松戸の武術師範より

お参り
- 投稿日
友人の家の近くにあったので、よくお参りをついでにしていました。参拝客もそれなりにおり、かなりいい雰囲気です。夕方になると、どこかのんびりしていて好きな雰囲気です。コロナ前は外国人もよく見られました。オススメです。
まさに有楽町線の護国寺駅の駅前にあるお寺です。
正直文京区というこんな大都会にこんな大きな
お寺があるのかというぐらい敷地面積が広いです。
そして祈願されに来られる方が多いお寺ですが、
森に囲まれている事もあり、癒しのスポットとして
来られる方も多く、写生などを楽しんでいる方もいます。
仕事の合間の気分転換にはもってこいの
癒しスポットのような気がします。
地下鉄有楽町線の護国寺駅前にあります。
毎年、桜の頃にはよくお花見に行きます。
趣ある桜の木がたくさん植えてあり、とてもきれいに咲きます。
お寺の方は、有名な方のお墓があったり、時々葬儀なども行われています。
前もっての、インターネットの申込必須です。
本日の大学の先生は、茨城県・日立市のまんせい寺、住職。
宗学研究所常勤研究員で、大正大学講師されていらっしゃいます、
粕谷(かすや)隆宣(りゅうせい)先生でした。
なんと、すごく落ち着いていたんで50歳〜?かと思っていたら、
なんと、42歳だそう。A型だから小心者なんておっしゃいましたが、
全く関係ないように堂々としていらして、
素敵でした。
お話は、しっかり、90分以内に、
レジュメ通りに終えられ、さすが、大学や若い弟子の育成されている
先生だと感心致しました。
体育館のような大ホールで、270人も入って盛大でした。
即身成仏とは、簡単にいうと、みな人は違うけど、みな平等だから、
「全ての人に仏心がある」から、人を敬い…、
人をたて、自分も他人も無いのだと気がついて、
いつか死ぬ迄、勉強をしていこう〜\(*⌒0⌒)bということ。
気がついているけど、
わかちゃいるけどやめられないとか,
人をみて、じぶんをしめていこう〜。
20代のとき以来のお勉強をさせて頂き〜
( 〃▽〃)嬉しゅう御座いました…。
また大学、いいや、高校で、歴史を勉強をさせて頂いたような感じです。
講座修了後「南無大師遍照金剛」とおとなえさせて貰った時、
本とに、弘法大師と唱えている気持ちなりました。
徳川綱吉の母、桂昌院の祈願寺
- 投稿日
地下鉄有楽町線護国寺駅の真ん前。
真言宗豊山派の寺で
その敷地は広大なものがある。
なによりも綱吉の母、桂昌院の強い願いによって
祈願時として建立されたというだけあり
重要文化財も多く
元禄10年(1697)建立の本堂
桃山時代の月光殿
中国明時代の絹本墨絵漁夫図などなど。
また
ここに眠る方々には、
明治天応側室、山県有朋、大隈重信
ジョサイア・コンドル、団伊玖磨、
大山倍達(極真空手開祖)などなど
そうそうたる人物が多くおられる。
ここには音羽に住んでいた頃
ほとんと毎日、犬の散歩などで訪れていた。
背後といってもやや離れているが
池袋の繁華街を控えているロケーションだが
敷地の広さは、車の往来の多い音羽通りや
池袋への広い通りなどがあるのが信じられないほど
静かで、時に瞑想に耽るにもよく利用した。
正月になると
門前からずっと続く多くの参拝客で埋まり
かつて門前町として賑わっていた時代を彷彿とさせられたりした。
正面の山門を右手、大塚三丁目に向かう坂道の手前に
裏門があり
こちらから入ると、こんもりした大きな樹木につつまれ
まったく別の趣がある。