
こまたろう
さん
2024-08-13
全体公開
五日市憲法草案の展示が著名
明治時代に国会開設に向けて、憲法草案が民権家たちによってつくられました。
深澤家の土蔵に、日本国憲法と命名された憲法案が発見されたのは昭和になってからでした。
小田急線の創業者の利光鶴松の自伝が公開され、それを読んだ色川大吉教授が深澤家の土蔵を調査する切っ掛けとなったのでした。大分から上京した利光は貧しく、観農学校の教師をしながら、深澤家に食客となり、深澤権八が蒐集した私設図書館で西洋の哲学や政治、法思想など学びました。観農学校は民権家の巣窟のような場所だったそうで、五日市学芸講談会が開催され、民権家たちの勉強会となっていました。
日本国憲法の草案は、観農学校の教師の千葉卓三郎や地元の名主である深澤権八を作ったと言われています。この場所にちなんで、色川教授は五日市憲法と命名しました。長文で民権意識の高いこの草案は、東京都の文化財となって、現物は都庁?でしか見られないそうです。
その他の展示もありますが、省略します。
五日市郷土館
- 武蔵五日市駅
- 博物館・美術館