
五日市憲法草案の展示が著名
明治時代に国会開設に向けて、憲法草案が民権家たちによってつくられました。
深澤家の土蔵に、日本国憲法と命名された憲法案が発見されたのは昭和になってからでした。
小田急線の創業者の利光鶴松の自伝が公開され、それを読んだ色川大吉教授が深澤家の土蔵を調査する切っ掛けとなったのでした。大分から上京した利光は貧しく、観農学校の教師をしながら、深澤家に食客となり、深澤権八が蒐集した私設図書館で西洋の哲学や政治、法思想など学びました。観農学校は民権家の巣窟のような場所だったそうで、五日市学芸講談会が開催され、民権家たちの勉強会となっていました。
日本国憲法の草案は、観農学校の教師の千葉卓三郎や地元の名主である深澤権八を作ったと言われています。この場所にちなんで、色川教授は五日市憲法と命名しました。長文で民権意識の高いこの草案は、東京都の文化財となって、現物は都庁?でしか見られないそうです。
その他の展示もありますが、省略します。
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中野区の歴史と文化を学ぶ
特別展示会が8-9月にかけてあり、新しい収蔵物を展示しておりました。寄託されていたものが、寄贈されたそうです。考古学者の相澤博士の図書など、加賀藩の士族だった人が東京に移籍して、加賀藩時代の秀吉の手紙など。西中野小学校からの寄贈品など。2つの小学校が廃校となって、鷺ノ宮の杜小学校になったそうです。
2階は常設展で、武蔵野の一角になる中野の地理、縄文時代から古墳時代まで、武士の勃興、古戦場、中野氏、阿佐ヶ谷氏など地域の土豪の出現。甲武鉄道が出来て、中野の重点は鉄道側になりましたが、江戸期は青梅街道が栄えていました。
江戸時代の犬を預かっていた広大な置地があり、桃園があったこと。明治時代には監獄がありました。
子供むけたの昔の生活体験会があり、練炭の火起こし会がありました。
子供も親たちも楽しめる無料の中野区の郷土資料館です。
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